ナルクとの出会い 西浦節子 掲載日:2021/8/9
平成12年の暮に自己免疫疾患に罹患した。中核病院で3ヶ月治療したが、死線を彷徨う結果となり、知人の医師が天王寺の病院で免疫を担当している事を思いだし、最後の望みをかけて救急車で転院した。 「死なないから大丈夫」とニッコリされた顔を見て嗚咽と大粒の涙で感謝の声も出なかった。病名は「尋常性天疱瘡・指定難病35」と「シェ-グレン症候群・指定難病53」である。味覚と嗅覚は失われ、満身創痍であったが、医師が毎朝点滴に来られ、楽しい会話があり、精神的にも救われた。
退院後、自宅と病院との往復だけの生活から、不定愁訴の状態になり、就職の相談を医師にしたところ、猛反対で「僕の注意を無視するなら、他の医師に診察して貰いなさい」と言われたが、決心は変わらず自分で起業する決断をした。
平成15年の秋にNPO法人を設立し介護事業を展開した。訪問介護、障がい福祉、地域医療の移動介護、居宅介護支援(ケアマネ)ヘルパーの人材不足を補う為に2級の取得が出来る養成講座と、介護福祉士の養成講座、介護保険を利用できない人の為に、家政婦事業も展開した。合計7事業部である。
行政の集団指導でラポールに行った時、ナルクの冊子を見た。理念が「自立・奉仕・助けあい」とあり、出来る事を、出来る時に、出来る方法で活動し地域社会に貢献すれば、自分の生きがいになると示唆されており、すぐに入会した。
しかし、起業して自分の責任で利用者とスタッフに対して安全で、安心な介護を提供するために、日常の雑務が多くナルクの活動になかなか参加出来なかった。
わずかばかりの活動の後、体調を崩しガンに罹患して手術をし、4ステージで余命宣告を受けた。まさか自分が介護保険の利用者になるとは想像もしなかったが、見えない手に導かれるように準備されていたと思われる。
ナルクのエンディングノートを購入し、来るべき死の準備を済ませ、ガンと共存して自分らしく生きようと思料した。奇跡的に延命しているが、ガン患者は、ガンと診断された時から生涯に亘ってガンと向き合って暮らすのである。
6ヶ月に亘り抗がん剤の点滴をしたが、その折り、関西医大への送迎にナルクの方々に大変なご尽力と励ましを頂き、心から感謝を申し上げたい。
枚方市には13の地域包括支援センタ-があり、保健師、社会福祉士、看護師、ケアマネ、介護福祉士の専門職員が常駐している。かけこみ寺といっても過言ではない。さらに困った時にはナルクもあるので、貴方は一人ではないと声高にお伝えしたい。
ナルクに入会して、誰かのためにと思った日々は、希望があり、精神的に成長させて頂き感謝している。医療と福祉で人生の大半をすごした経験を、体調を見ながら奉仕活動で地域社会に貢献しなくてはと思っている。