菊との出会い 川元 大生(4地区) 掲載日:2021/12/13

 私の「菊との出会い」は40代後半の頃でした。

 勤務先の人事異動で工場長に赴任した時、製造課の課員で、協調性に少し問題がある従業員が菊作りをしていると聞き、その従業員と私とのコミュニケーション構築の一環として、工場の緑地スペースで菊作りをする事にしました。

 春に2~3個の大菊苗を工場に持って来てもらい、我が家にも数個持ち帰り、彼に工場で菊の世話をしてもらって、見聞してきた事を我が家の菊で実践するスタイルで開始したのが出会いの第一歩。

 秋になって大菊盆養三本仕立ての菊が開花すると、貧弱で弱々しい菊花でしたが、珍しいものですから職場の社員や、我が家の周りの人から「お褒めの言葉」を頂き、この誉め言葉が菊作り継続の要因となりました。 

 その年以降は公私ともに菊作りをする余裕の時間もなく、細々と菊栽培はしていました。

 次の転機になったのは60代半ばの「退職」でした。

 私の退職時期の数年前から、枚方市教育委員会では市花である「菊」を広める「学校菊作り活動」が小・中学校で始めていました。

 校区コミュニティ協議会の役員さんから、私が退職すれば直ちに校区コミュニティの役員と小学校の菊指導ボランティアをして欲しいとの要請があり、退職と同時に校区コミュニティの活動と小学校の菊作りが始まりました。

 この頃から枚方市菊花展に出展する様になりました。
 出展をしていると出展作品の前に名札が記載してあるので知人・友人から「菊見たよ」のコメントを頂き、出来の悪い菊を出展しない様に努力をしなといけなくなって、菊作りに費やす時間が多くなってきました。

 一方、NALCのウォーキングは楽しみにしているサークルですが、菊作りで手間のかかる作業の時期(特に、5月、10月)は行楽シーズンでもあり、その他の行事も重なって、ウォーキングに参加出来ない状態が続いています。

 NALCウォーキングで「葛城山のツツジ」「大台ヶ原の紅葉」は参加したかった行先だったのですが参加が出来ず、今でも残念な思いが残っています。
ただ、私は四捨五入すれば80歳の後期高齢者ですので、段々と菊作りが難しくなり、菊鑑賞だけになると思います。