角山 正男 (1地区) 掲載日:2024/11/11
ふるさと丹波(綾部市奥上林地区)には、昭和30 年代後半まで「てんごり」という風習があり、日常の暮らしの中に定着していました。
農家で大事なことは、折々の農作業を時期までにやり終えるには、人力をいかに確保するかでした。
例えば、一反圃(300坪)の田に田植えするには4人の植え手が必要です。自家から1人の場合、3人の助け人を集落内で確保します。助けに来てくれた家の田植えの際にはお返しに行きます。これを「てんごり」と呼ばれていました。
この風習は、作業の機械化・若者の都市流出(私もその一人)の結果、限界集落と化し、てんごりも継続が困難となりました。
そんな時、テレビで京都美山(茅葺屋根の集落)の地ではてんごりが今も日常の暮らしの中で生きていると紹介していました。
美山は、ふるさとから近い位置にあり、峠を越えて行き来していました。
美山のHP によれば、てんごりの「てん」は「天」のことで神様。「ごり」は「手抜きしないで心を込めて奉仕する事」とのこと。一般的に「手間返し」と言われ、この地方の方言と記されています。
ある時、北海道出身の会員が、「北海道の農家では、農作業労働の貸し借りが日常行われており手間返しと呼ばれていた」と話されたのを聞いて、厳しい農作業を乗り越えるため、地域の者同士の助け合いを生み出し、全国の農村で行われていたのだろうかと推慮しました。
てんごりの慣習以外に、冬場、降雪があれば、小学生の通学路確保に総出で雪かきをする。葬儀には輿の飾りつけから墓穴掘り全て集落のものが手配する。そんな地域の環境の中で育ち、参加してきました。
私が退職後はナルクに参加しようと決めたのは、ナルク高畑初代会長の新聞記事を読んだからでした。
その記事の中には、高畑初代会長が、ナルクの創設はアメリカ視察の際、個人は地域で奉仕し組織は政治の場でロビー活動をする。そして、退職後のサラリーマンが役に立つ高齢者として活躍している実情を知ったからだと書かれていました。
高畑会長は、こんな日本の農村の実態もご存じだったのではないでしょうか。
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