投稿者:枚方・向井 範雄

 初めて小説を書いたのは30歳の時でした。せっかく書いたのだからと、ある推理小説新人賞に応募したところ、1次予選を通って雑誌に名前が載り、面白くなっていろいろな新人賞に応募するようになりました。

 そのうち2次、3次と予選を通るようになり、同じように投稿をしていた人の目にとまって、作家の高嶋哲夫さんと3人で勉強会をするようになりました。高嶋さんはアメリカのUCLAに留学をしていましたが、作家になる決意をして帰国し、神戸市の垂水で学習塾を経営するかたわら小説を書いていました。月に1度、書いた小説を持ち寄って、高嶋さんのマンションで合評会をしました。

 高嶋さんはそのうち、小説現代新人賞やサントリーミステリ大賞を受賞して専業作家になりました。いつもマンションから垂水駅まで車で迎えに来てくれていましたが、最初は古い軽のバンだったのが、そのうちベンツになりました。

 平行して3人で中薗英輔さんの同人誌にも参加しました。中薗先生は日本で初めてスパイ小説を書いた人です。年に1度、先生が住んでいた横浜に集まって、同人誌の合評会をするのが楽しみでした。同人の中には作家の楠木誠一郎さんもいました。合評会では先生と同郷の作家、五木寛之さんから祝電をもらったこともあります。

 中薗先生からは、「難しい言葉をさけて漢字はなるべく使わない。文章は削るほど良くなる」と教わりました。そのうち歳をとり、管理職になったりして小説を書くことが負担になってきたので、肩のこらないエッセイを書くようになりました。

 エッセイでは読売新聞の「旅のエッセイコンテスト」で優秀賞になりました。選考委員長が椎名誠さんで、好きな椎名さんが私のエッセイを読んでくれたのが嬉しかったです。

 貰った賞金でモロッコとトルコを旅行したのも楽しい思い出です。モロッコは厳格なイスラム教なので、レストランでビールが飲めなかったのには閉口しました。トルコもイスラム教ですが、普通にビールが飲めました。ガラタ橋の麓で、缶ビールを片手に食べた名物の焼きサバサンドの味が忘れられません。

 趣味で文章を書いてきましたが、今こうして所属拠点や本部の編集委員をしていて、そのことが少しでも役にたっていると思うと不思議な気がします。
 もっとも、それだけ修行してこの程度の文章か、と言われそうですね。とほほ。