
<傾聴とは、心を傾けて相手の話を聴くこと> |

<人は、心から話を聴いてもらえたとき、生きる力が湧く> |
ラポールひらかたで、4月24日に開催された傾聴講習会は、当初の定員の30名を超えて49名の参加者があり、京都傾聴塾、石橋 守代表の中身の濃い、しかもユーモアのある講演を熱心に伺った。
私も、自らをクライアント(依頼者)、傾聴者両方の立場に想定して聞くうちに、改めて「人間とは・・・」と考えるよい機会になった。
日常生活で果たして人様の話を心底聞いてきただろうかとまず反省、否むしろ求められてもいないのに助言したり、話の棒を折ったりしていた。
ましてや、「クライアントの話を目、耳、心を傾けてただひたすら聴く、→その内容を受け取り(受け止めてはいけない)→反復してお返しする作業に徹する」と教えられ、簡単そうに聞こえるが、このスキルは、自らの行動形態を変える強い決断の上で専門の訓練がなくてはできない業と初めて知った。
人は「もう生きていても何の楽しみがあろうか・・・」という日がいつか訪れるのでしょう。 そのような状況においてなお、悩み、苦しみ、孤独、淋しさを抱きかかえ、人にそれらを聞いてほしいと思うらしい。
「あなたがもし傾聴ボランティアをするなら、依頼者の話をどのように聴くか、何を聴くのか、うまく聴いてもらった人はどう変わるのか、なぜそうなるのか」と次々興味深いことを聞いた。
「中には全く話してくれない人もいて、そのようなときでも、じーっと待ち続け、ただその方のあるがままの存在を認め、傍らに座す」とのことで、ひたすらに聴くことが真の援助になり、なぜそうなるのかは人間の不思議さだそうだ。
熱気あふれる参加者から次々具体的な質問が出た。 その一つ「傾聴者自らがこの作業により受けるストレス回避の方法は」との問いに対し、「仲間と共に語り合い、ガス抜きをする」との回答であった。
相手の方の魂の極みから絞り出される苦悩、叫びに耳を傾けるのは、生易しい気持ちでは続けられないだろうし、今の私には至難の業としか思えない。
しかし、長年の人生経験のある中高年には、利他のため役立つ真のボランティアと考え、できればさらなる学びを続けてみたいとの思いを強くした。
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