●初めてアフリカへ
アフリカとの出会いは劇的でありました。 着陸のショックで目が覚めた時に眺めた光景はヨーロッパの空港の風景であった。“あっ!飛行機を間違えたのか?”と一瞬錯覚を覚えた風景が、1972年6月、生まれて初めて到着したアフリカ・南アフリカ・ヨハネスブルグのヤンスマッツ空港であった。“
トレビの泉 ”にまつわる話と同じように、アフリカの水を飲んでしまった為にアフリカの人々に愛着を感じ、アフリカの凡ての事柄に関心を抱き続けることが出来るのは幸いであったと考える昨今であります。
●南アフリカはアフリカ随一の工業レベル
南アフリカはアフリカ随一の工業レベルを誇り、鉱業資源も豊富であり石油以外のすべての鉱業資源を有すると言われていました。人々の生活レベルも白人に限れば非常に高く、日本の3倍強の面積を有する国土には、風光明媚な観光スポットや野生動物の豊富な保護区が点在し、南アフリカ原産の植物も多く、アフリカの楽園ともいえる国でした。当時、この国には、アパルトヘイトと呼ばれる人種分離政策で国が統治されておりました。日本人は経済的な関係より例外扱いを受けており直接的な影響はありませんでしたが、精神的には緊張を強いられる雰囲気にありましたし、人間を種族で区分するやり方には違和感を感じざるをえませんでした。
●新生南アフリカの誕生
現在はアパルトヘイトが崩壊し、全国民の選挙で選ばれた大統領によって国が運営されていますが、初代大統領のマンデラ氏については非常に感銘を受けています。白人政権より黒人政権へ移行した国においては、白人に対して過酷な政策を打ち出す国が多い中で、独立運動において白人政権により長年投獄された経験を持つにもかかわらず新しい国作りにおいて、どうするのが国民全体の利益に結びつくかを考え、黒人の利益優先のみに偏する事無く方策を打ち出し、新生南アフリカを混乱に導くことなく誕生させたことです。
●アフリカは野生動物の宝庫
野生動物の宝庫としてのアフリカに魅せられる事は、自然な事であると思われますが、それで終わることなく、マンデラ氏やセネガル共和国の元大統領サンゴール氏、タンザニア共和国の元大統領ニエレレ氏など立派な人格を持った指導者がアフリカに多く存在する事とその業績も知って頂きたいと思います。
とは言うもののアフリカで見る野生動物は、動物園で見る動物たちとは異なります。 夕闇の迫る中で動物保護区の入口へ急ぐ時に聞くチンパンジーの遠吠えは、動物園でのおとなしいチンパンジーからは想像も出来ない迫力があり、恐怖感さえ覚えます。
アフリカの野生動物を雄大なアフリカの大自然の中で見る事は、アフリカ観光の持つ大きな魅力の一つですが、アフリカでもなかなか見る事の出来ない珍しい動物を見るには現地の動物園を訪問する事です。
アフリカまで出向いて何故動物園に行かねばならないのかと疑問に思う方がいるかもしれませんが、ピグミーカバ、コビトゾウ、オカピ、ボンゴ、ジェムスボックなどは現地の自然環境の中では殆ど見る事は無理だと思いますし、日本の動物園でも必ずお目にかかれるとは限らない動物達です。機会があれば是非実物を見て頂きたいと思います。
コビトゾウというアフリカゾウの子供のようなサイズのゾウを見た時は本当に感激しました。
野生動物を観察する適期は乾季です。雨季には草が茂り動物達を隠してしまいますし、方々に水溜りが出来るので動物が散ってしまいます。更なる問題は、道路事情です。
アフリカは砂漠地帯及びその周縁を除いてラテライトという赤茶色の土で覆われています。この土は乾燥するととても固くなりますが、水分を含むと非常な泥濘となります。舗装されていない地道(
ピスト )は、雨季には4輪駆動車でも途中で立ち往生することになります。動物を求めて長い地道を運転しなければならないサファリツアーは雨が降れば中止されます。
アフリカといえども近代化の波が押し寄せており、野生動物もゲームリザーブ( 動物保護区 )と称する地域の中に閉じ込められる時代であり、はぐれ象が人家に踏み込み、畠を荒らせば大きなニュースになる国もあります。そのような地域に閉じ込めないとその生存が確保できない時代になっていると言うことでしょう。
アフリカ人の伝統的な家を見る事も、大都市の近郊ではもはや不可能となりつつあります。 村落として存在する場所は、観光地として特別な場所に出かけなくては見られない国もあります。
●アフリカの生活様式
伝統的な家の構造は、円形の壁を土で作り、その上に円錐形の屋根を木と植物で作ります。入口は壁に半円形の穴を作ります。 家の中は同心円状に2段になっており中心部が低くなり、周囲が高くおり、丁度体を横たえるだけの幅があります。床は土で固められており、入口の近くに水がめや鍋、臼と杵などの炊事用具が置かれています。周囲の1段高い床が夜のベッドの代わりをするそうです。
これが一般的な住宅の構造で、晴れていれば外で食事の準備をして食べます。 田舎に住むアフリカ人は、非常に人懐こくて親切です。
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<アフリカの写真集> |
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<若き日の筆者> |

<村長と一緒に!> |

<近代的なホテル> |

<田舎のホテル> |

<舗装道路> |

<田舎の地道> |

<田舎の地道> |

<動物保護区の道> |

<田舎の集落> |

<田舎の家> |

<海岸の集落> |

<海岸の家> |

<市場の様子-1>
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<市場の様子-2>
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<市場の様子-3> |

<市場の様子-4> |

<踊り> |

<食用のカタツムリ> |
●アフリカへの支援を!
アメリカ合衆国の約三倍の面積を有し、自然・風景・民族・習慣など他の地域にはない魅力があるアフリカですが、そのアフリカの未来は、決して明るいものではありません。その原因を列挙する事は、あまり意味のあることではないかもしれませんが、アフリカの努力だけでは解決出来ない事情を理解して頂きアフリカへの支援をお願いしたいと思います。
サハラ砂漠の南下がその周縁国家に深刻な食糧問題を引き起こしていますし、植民地時代の行政区分がそのまま独立国として認められましたので、多くの民族がその同意なしに一つの国を形成しています。この事は、今でも民族問題という大きな問題を内在している事を意味しています。この民族問題には、単に伝統・習慣の違いによる差異という表面的な問題だけでなく、歴史的な経過による民族間の確執があり、これがアフリカ社会の民族問題をより複雑にしているのであります。植民地時代の農業政策により食料の自給よりも市場価値のある作物の生産に特化したという事が、今でも産業構造に大きな影響を与えており、更にそれらの換金作物の価格が生産に関係のない所で決定されております。
世界銀行から資金を調達して産業を発達させようとしても、極めて産業振興に不利な条件が要求される事になり無理な相談だと言うことができます。アフリカの再生の為には、政治問題を絡ませることのない、長期的ビジョンに則った真の経済援助が先進国家より為される事が必要であり、夢物語と知りつつもそれを願う次第です。
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