
女学生時代の筆者
私の青春時代は支那事変に始まり昭和16年12月の真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争と、昭和の激動の中で過ごしまた。大本営発表の情報を信じ、提灯行列で戦果を喜び挙国一致で戦争遂行へと突き進んだ時代です。
太平洋戦争も昭和19年に入ると軍需部門の労働力が著しく不足する事態となり男子学生、女子学生も労働力不足を補う目的で「学徒勤労動員」に応じ各地の軍事工場へ働きに行かされました。
私たちも学校の体育館で1週間ほどリベット打ちの実習訓練をした後、戦闘機の組立工場へ行き実際に鉛筆を持つ手にリベット打ち機を持ち、戦闘機作りに没頭しました。私達の作った戦闘機で多くの戦死者が出たのではないかと心配しました。
昭和20年8月15日の「玉音放送」は香川県で聞き戦争が終わった事を知りました。夜を暗くして過ごした「灯火管制」もなくなり明るい夜を迎えられるようになりました。
昭和28年22歳で結婚をして大阪へ出て来て専業主婦として過ごし、昭和35年からは今の香里ケ丘に住んでいます。
子育ても終り、これから2人で楽しい生活をするはずでしたが、13年前、ひざに違和感を感じる様になり手術を受けました。
その後もひざの違和感は消えずだんだんと家事の世話ももどかしくなり家事援助について市役所へ相談に行きました。そこでナルクを紹介され、平成19年1月にナルクへ入会し家事援助を受けました。
まもなく主人が車椅子生活に入り2人が家事援助を受ける事になりました。9年前に主人が亡くなってからも月に2~3回の家事援助を引き続きお世話になっています。一人暮しでさびしくしていましたがナルク活動の地区会、野菊の会(茶道)、JR旅の会、バスツアーに参加し、とあるカラオケ店で6地区の田畑会員とばったり出会い、今はカラオケ友の会にも参加しています。どの活動に参加しても皆さんは私より若い人達ばかりなのでいつも若さと元気をもらっています。
ひざについては引きつづき経過観察中ですがこれからも出来るかぎりナルク活動に参加し有意義で楽しい生活を続けていきたいと思っています。
今年は、2回目の東京オリンピックを無事見ることが出来そうなので、次は2回目の大阪万博が開催される2025年を目標に頑張って行きたいと思います。