
野菊の会の皆さん
以前、この欄で仏像の事にふれた。その後、「祈り」について手におえない疑問を持った。思いついたのは「カラーマゾフの兄弟」の中に手がかりはないかと、果たして1行だけ「この瞬間に死に行く者があるとして、その耳に私の祈りが届いたならば、どんなに安らかか」というのを見つけた。えん罪に苦しむドミートリイの身を案じると祈らずにはいられない読者です。
ところで茶会は喜びにつけ悲しみにつけ開く。お点前の15分間の無言、静寂は、主客の祈りに通ずるものがあるのではないかと今さらながら思うところです。ならば、ごはんを炊くのも洗濯するのも私にとっては日常の祈りになるわけです。
野菊の会はおかげさまで8年目になります。