「楽しいの?」と膝の上の太郎が尋ねた。
「楽しい時もあるが、悔しいと感じる時の方がはるかに多いと思うな。 しかしお前はいいね。 ミャーの一語でほとんど用が足るもんな」
「ミャーの発音に色々の違いがあるのが分かってないんだから困るな。 聞き分ける耳が大切なんだよ。 まあ、致し方ないか。 お爺さんは、長い間、日本語の世界であくせくと生きてきたもんね。
お爺さんはいつから英会話を始めたんだっけ」
「聞いてくれるなよ。 孫たちが生まれる前からだよ」
「それにしては全然うまくならないね。 まあどんなことでも10年も修行すればひとかどのものになれるってのが相場でしょう」
「それがおれにも分からないんだよ。 同じころから始めたパソコンじゃぁ、多少の食い扶持を助けてくれるものになったんだけどなあ」
「いつまで続けるの?」と膝の上から太郎はさらに追い討ちかけて尋ねてきた。
「願わくば、ご臨終まで続けたいね。 聞いているだろう。 老化を遅らせるって。 いろんな人とおしゃべりをし、文章を書きながら意味が通るように辞書を片手に推敲を重ねるってのは、脳にいい刺激を与えるのを。
それに時には若い子たちとも会話が持ててうれしくなるんだ。苦労が多いほど、小さな楽しみも膨らむからね。 ちょうど寿司にワサビを添えるようなもんだな」
「ふううん。 そんなもんかね。 それが楽しいであればこれ以上言わないよ。 だけど僕の夕食にはサビ抜きでね」と言い残して、膝から下りて太郎は外へと向かった。
「彼には家の外に楽しみが待っているだろうな。 お前も頑張れよ。 太郎」
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